どう生き、どう終えるか。

夜道を歩いていただけなのに突然刺されて、そこで命が終わる。

車に乗っていただけなのに事故に巻き込まれ、人生が終わる。

昨日まで笑顔の絶えなかった家庭が一瞬の災害に巻き込まれ、崩壊する。

誰もがまさか自分が、と考える。

自分だけはそんなことはない、と思い込んでいる。事故や事件にあった人の、誰ひとりとして「今日私は刺される」と思うこともないし「これから俺は事故に巻き込まれる」と予測できる人はいない。

つまり、私にもその可能性があるということ。

この先、何がどうなるかは誰にもわからない。

そこで人生が終わるとする。

その人の、今までの人生はなんだったのだろうか。

たとえばある小説が一つの結末に向かってそれまでのページのいたるところに伏線があるように、人生の一瞬一瞬もまたその結末に向かう伏線に過ぎないのか。不遇の結末を迎えたあの人の、それまでの人生はその結末を迎えるための序章だったのか。

なんとせつないことか。

自分が望む結末を迎えられる人なんて、ごくひと握り。

いつ、何が、どうあってもいいようにどう生き、どう終えるのか。

あの方々の生き様をたどることも追いつくことも到底できはしないだろうが、自分の周りにいる人々を少しでも幸せにすることこそが自分なりに課せられた使命。日々、自分と向き合うのみ。

合掌。

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投稿者: keishoseminar

中学受験・高校受験「慶翔ゼミナール」 相模原市中央区相模原2-12-21 JR相模原駅 南口から徒歩5分、住宅街にある学習塾です。 自宅1階を改装し、妻と2人で全塾生を指導します。 今年で開塾18年目となります。朝塾、やっています。

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