私の名画①「明日に向って撃て」

セピア色の冒頭からラストのストップモーションまで、すべてがカッコいい。ロバート・レッドフォードが最高だ。私のNO.1映画である。

原題は「ブッチ・キャシディ&ザ・サンダンス・キッド」。

無名だったロバート・レッドフォードがこれでさく裂、彼が主催する「サンダンス映画祭」の由来はこの作品名によるものだ。

最近の洋画は原題そのまま作品が多いが、少し前の邦題はなかなか趣深い。この「明日に向って撃て」も評価が分かれるところだろうが、私は大好きである。同じ「明日」が使われている作品に「俺たちに明日はない」がある。これもまた原題は「ボニー&クライド」。こちらが先で1967年だ。「明日に向って撃て」は2年後の1969年である。ちょうど私が生まれた年であるというのもまた思い入れの一つかもしれない。

スティーブ・マックィーン主演の「ゲッタウェイ」をTV洋画劇場で観た時、映画後の名物コーナーで故淀川長治氏があのラストが意味することを語ってくれた。

映画にはいくつも約束事があって言葉ではなくそれらで語る。例えば挿入曲の題と歌詞の関係。あるいは2人の大人のシーンでの打ち寄せる波の意味。邦画ではあまり意識されていないが、画面左から右に動く事にも意味があるのだと。例えば主人公あるいは作内での正義者は左から右に向かう。敵は逆に動かす。なるほどそう言われれば「アベンジャーズ」でのいくつかのシーンもそうだ。彼らがまとまって敵に向かう時は左から右が多い。

一方でシビルウォーのようにどちらが正義かが場面によって異なったり、事前に観客に悟らせないようにする時は混在させる(と思う)。

話を戻すと「ゲッタウエイ」。逃げ切った二人がまっすぐな道をオンボロトラックで遠くに走り去るシーンで終わる。ところがそれは逃げ切ったのではなく、不文律として背を向けて消えていくのはその先の暗い未来の暗示だと淀川氏は言った。逆にこちらを向いている場合の多くはハッピーエンドなのだと。であるならば、このシーンは何かを物語っている。結末を見る人にゆだねる作品もまた趣深い。だとすると、向こうからすれ違ってくる車は何を意味するのだろう。そんなことを考え続けるのも、また映画の醍醐味の一つ。

そこで「明日に向って撃て」のラストだ。

ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードは待ち受けるのが軍とも知らず、あのしつこい追手(この追手の描写をみてスピルバーグは「激突」を作ったに違いない!)ではないので逃げ切るのは楽勝と思い、互いの掛け声で出ていく。

が、一斉掃射されるその瞬間、モノクロに変わり、そこでこの映画は終わる。残るのは圧倒的な銃弾の音とファイヤーと連呼する声だけ。

逃避行を続けた2人の結末として「俺たちに明日はない」と「明日に向って撃て」のラストはあまりに対照的だ。

文字通り明日がなくなったボニー&クライド(ラストシーンはに対して、逃げ切れるわけがないという状況でありながら、画面にむかって飛び出すブッチとサンダンス・キッド。実話においても2人の生存説はある。

2年前にヒットした「俺たちに明日はない」の二番煎じとしての題意ではないと思うのだ。

配給元も彼ら2人のカッコ良さにしびれたに違いない。 そして、名匠ジョージ・ロイ・ヒル監督が意図するラストにおいて、何かの未来を感じて邦題を「明日に向って撃て」とつけたのではないかと勝手に思っている。

なお、別の意味で明日をつなげた「新・明日に向って撃て」という続編もあるが、こちらは若かりし二人を描いた作品。適うべくもないがそれほど悪くない。

本当の意味でポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの明日は「スティング」へとつながる。正真正銘、まごうことなき名作。

次回予告「ローマの休日」。

こちらも気合の入ったブログになりそうです。

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投稿者: keishoseminar

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