脱糞について。

今週末、私は2つのことで苦悩した。いや、懊悩、煩悶といっていい。

だが、生き様を見せることが弊ブログを再開した理由であるのであれば、心の奥底をさらけ出すこともまた使命ではあるまいかと、今からここにその詳細を陳述する。

1つはK奈子さんに真実を伝えるか伝えまいか、ということ。昨日深夜にもツイートしたが、彼女は昨日ヤラかした。ヤラしかったではない。ミスったということである。

皆さんのご家庭ではどのような処理をされているかわからないが、揚げ油を捨てる際、固めるテンプル系の油の凝固剤があればいいのだが、ない時にはコンビニ袋を二重三重にしてそこに流し込む。これぞ燃やせるゴミである。

ところが昨夜その作業の途中、盛大にぶちかましてしまった。台所の床や引き出しの中まで油まみれ、キッチンカーペットはオシャカである。K奈子さんの落ち込みようは可哀そうなくらいであった。他の人なら何やってんだっ!って怒るところを慰めてくれるから優しいね、とも言う。

違うのだよ、K奈子さん。慰めているのではなく、ついに君も我々の仲間入りなのかと感慨深くなっているだけなのだ。むしろ、おおっK奈子もお前もか、といとおしくなったのだ。油を盛大にこぼしたのはたまたまでも不注意でもなんでもなく、それは必然なのである。

なぜか。それは加齢とともにくる、身体機能の衰えの現れだからだ。頭がこう動けといっても体が言うことをきかなくなってくる時が必ずくる。今年40歳になった君はいよいよその時を迎えたのだ。頭の中では常に20代と思っているだろうが、現実は甘くない。まっすぐに偽りのない目で、鏡に映る自分を見つめ直せ。

実にこれは大切なことなのだ。この自覚がないと悲劇をもたらす。越えられると思ってジャンプした壁に足をとられてすっころぶ。すっころぶだけならまだいい。越えようとした壁に足をかけ、その足が滑ってその壁に股間から落ちてでもしてみろ。女性の君にはわからん恐怖だろうが、これは痛い。死ぬより痛いかもしれない。考えただけでも背筋が凍る。

真面目にいうと自損事故だけならまだいい。例えば車を運転していいる時だ。自分の感覚とその信号伝達のスピードや正確性が劣っていると自覚しないままイケると思って事故ったらどうする。他人様まで巻き込むことになる。

そして何より、その自覚と普段からの用意周到さがなければ人間の尊厳を根底から汚す事態となるのだ。その危険性がついに君に出てきたのである。だが、まだ40代の麗しき女性であり4人の子の母である。一番下の子はまだ中1であり、皆がママ、ママと慕う日々だ。なかなか現実と迫りくる未来を受け入れられないだろう。

がしかし、だからこそ心を鬼にして君に伝えることにした。どうしようかと迷っていたが、私の実体験をもとに君に警告する。今から耳をかっぼじって、目を皿のようにして私の話を聞き給え。

ということで、1つめの苦悩はクリアした。2つ目である。

それは今ブログの題名だ。賢明なる読者諸君はもうすでにこの後のおおまかな流れをつかんでいることであろう。よって、どのような描写が流れてくるか見当がついているに違いない。

そこで改めて題名に戻る。「脱糞について。」である。

うららかな日曜の午後、それも天皇陛下のパレード当日にこのような言葉を羅列して不敬罪でとっ捕まっても仕方ないが、事態は緊急を要する。よって何卒おおらかな気持ちで読み進めていただきたい。

どのように表現すべきであろうか。すでに昨夜から12時間は悩み続けている。子供達のように「おもらし」という歳ではない。「粗相」では物事の本質、重大性、緊急性が曲解して伝わる恐れがある。ちまたにあふれるように「うんこ」では何か負けたような気がする。「ウンチ」は犬の散歩をしているおっちゃんみたいで癪に障る。同様に「フン」では塾で飼っているピラニア達と同列になりそうで嫌だ。まさかいい大人が「クソクソクソ」と連発するわけにもいくまい。

よって、漢語調も格式高く「脱糞」と表記することにしたが、いかがであろうか。漢字の読めない小学生のために読み仮名を記すと「だっぷん」である。可愛らしくもまた哀愁漂ういい語感だと思う。

というわけで、2つの苦悩を無事取り除くことができたのでいよいよここからが本文である。ここからは迷いなく一気に書ける。いつものようにクソ長い前置きであったがご容赦いただきたい。

生き様を見せるのが我が仕事の本質である。

人生には光もあれば闇もある。あのレディーガガは「影があるということは、あなたに光が当たっているっていうことなのよ」と説いた。けだし名言である。ちまたを見れば、まぶしく輝く光があふれている。スポットライトは彼らに任せよう。私はあえて影になろう。よって今から述べることは、決してウケ狙いでも、自分で書いていてちょっと面白くなって調子に乗って書いているのではない。苦渋の決断である。

先日、うんこが出た。

人間だからうんこが出るのは当たり前である。どんな素敵な女優であっても、世界を動かす指導者だってうんこはする。が、人間の尊厳としてそれはトイレでするものだ。

がしかし、身体のすべてをコントールしていると思うのは傲慢である。ときに体はその意志とは関係なく緊急サインを送っていくることがある。通勤通学の最中はもちろん、熱く語っている授業中、今日はキメるぞと燃える食事中、それはいつ来るかわからない。誰もが冷や汗を流した経験を持ったことはあるだろう。そこから人間の威厳をかけた戦いが始まる。しかし、現代においてトイレがないということはないのでよほどのことがない限りこの勝負は勝つ。仮にトイレにない山奥であったとしても、逆にそれは人は人間である前に生き物であるのだから、男子は雉撃ちに、女子はお花畑へとちょっと時間をもらえれば済む。

が、意識しているうちはいいのだ。思いもかけず、予測しないところから災いはやってくる。

思えば、私の体は50年も毎日同じ作業を続けてきた。目は常に見続け、口は食べ続けてきた。そして、肛門はその開け閉めを50年間繰り返してきたのである。最近、我が塾のトイレのシャワーパイプから水漏れがし始めた。パッキンだって15年も使用し続けていれば劣化する。それが50年である。ときには思わずということもあろう。

仕事柄、日中の大半はデスクの前に座ってパソコンをうつか、問題を解いたり解説を書いたりしている。そこで屁をかました。幸いにもK奈子さんはネイルに行っていていない。思うがままにかましても悪臭被害は自分のみだ。遠慮することは何もない。

その放屁がまた実に乾いた心地良い屁であった。そこにヤツがきた。1発目はフェイクだったのである。くっと下っ腹に力を入れ、右の尻を心持ち上げ、2発目をかます予定だった。

が、そこで出た。

あっと声も出た。

笑うなら笑えばいい。いや、きっと私と同年代またはそれ以上の方はおおいにうなずかれていることであろう。俺もやったことがあると。

そして、ここからが難しい。結構、出たのである。知らぬふりをしてそのまま座り続ければ悲劇がさらに悲劇を呼び、椅子までもに甚大なる被害を及ぼすであろう。そっと立ち上がり、ゆっくりと歩き始めた。ちょっとガニ股である。幸いにも事務所のすぐ隣がトイレであるが、そのまま10歩ほど先の風呂場に行くべきか、数秒悩んだ末に風呂場に駆け込んだ。

身を清めながら、さてパンツはどうしようと思った。このまま風呂場で洗って隣の洗濯機にぶち込むか、あるいはお役御免とビニール袋に入れ厳重に封をし闇に葬るか。幸いにも我が夫婦間で朝つけた下着と夜が違うなんてことを気にする文化も、数をチェックしたりする習慣もないのでそこは心配いらない。要はこの洗濯機に、風呂場で半べそかきながら洗ったパパンツを入れていいのかどうかを悩んだのである。ゴシゴシと洗ったとはいえ、汚染された我がパパンツが家族に何らかの被害を与えたらと思うとまた涙が出てくるのである。信じてもらえないだろうが、高1と中2になる娘たちはいまだパパといって抱きついてくる。私の着ているパーカーやスウェットなどむしろ喜んできてくれる。それもこれもすべてはK奈子さんが常に私を持ち上げてくれるおかげだが、この事件が発覚したら彼女たちはどうなるだろう。彼女たちの信頼を無にすることはできない。物は大切にしなさいという母の教えを裏切ることになるが、ここは家族の健康と絆を第一とした。

長々と書き綴ったが、我が身体をいつまでも信じ切ることは危険である。

何十年もその役目を文句ひとつ言わず続けていた身体の機能をいたわりつつ、いつその災害が訪れてもいいように高尚なる精神を持たねばならない。

K奈子さんにもついにその時が来たのである。昨夜のヤラかしは、むしろこれはチャンスであり、新たな自分を創り出すいいきっかけとなるであろう。が、まさかあの佳奈子先生が「うんこが出ちゃった」となってはいけないので、愛をもって私が犠牲となってここにその詳細を記したのである。

と、だいぶ長く書き綴っていたので、屁が出そうである。かの孔子もその論語で「過ちて改めざるを是を過ちという」と言っていた。

ちょっとトイレに行ってきます。

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投稿者: keishoseminar

中学受験・高校受験「慶翔ゼミナール」 相模原市中央区相模原2-12-21 JR相模原駅 南口から徒歩5分、住宅街にある学習塾です。 自宅1階を改装し、妻と2人で全塾生を指導します。 今年で開塾18年目となります。朝塾、やっています。

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