本物とは何か。

あちらこちらに「本物の教育」とか「本物の経営者」などという言葉が流れる。その「本物」について思うところを2、3書こうと思う。

身近なところで本物とニセモノで思いつくものといえばブランドものの服やバッグだろうか。ところが、そもそも本物を知らない私やK奈子さんにとっては、実はその違いがわからない。無名のものであっても使えて、適正価格であれば十分なのだ。

さて、これは不幸なことなのだろうか。

また、某局の名物番組「開運!なんでも〇定団」で、今まで目にも留めなかったものが本物と鑑定され驚くような金額が提示されたり、その逆で代々伝わる家宝が実はどこにでもある普通のものだったりなどもある。たまに見て思うのは、はたしてその鑑識眼は「本物」なんですか、ということなんだがまあ一種のエンタメなんだろうからそれを含めて楽しめばいい。いちいち目くじらをたてることではない。だが、それらに対する心持ちが人生の岐路だったりする。

では、実際に本物とニセモノで最も困るものはなんであろうか。

まず、紙幣が思いつく。いま財布に入っている1万円札が実はニセモノで、これは使えませんどころか犯罪者として疑われたらたまったものではない。実際は見ればわかるし、触れば違和感を感じてすぐに見分けがつく。が、これが他の国の紙幣だったらどうだろう。その違いがわかるだろうか。

他国に限らず日本のものだって少し前のお札ならわからない可能性が高い。ここ最近見ることも触れることもめっきりなくなった2000円札なんて、ひょっとしたら見分けがつかないかもしれない。極端なことをいえば、政府が真っ白な紙を出して「今日からこれが本物の紙幣だ」といえばそれが本物になるのである。

あるいはそれが本物の紙幣であったとしても、例えばスーパーインフレになればその信用は失われる。つまり、本物がニセモノ同様の価値になってしまうこともあるだろう。

先程の他国の紙幣に関していえば、例えばユーロなりドルなりをもって(もちろん本物の紙幣で!)コンビニで使用しようとしても「はぁ?」といわれるだけだ。中国人の子だからといって授業料を元で払われても困る。が、もちろんそれぞれの国ではきちんと支払いができる。なぜだろうか。

一方で、スマホをかざせば買い物をすることも可能だ。カード1枚あれば、世界中どこででも支払いができるのだ。

こんなたとえ話を一つ―――――。「ニセモノの1万円札をあぶりだしたい政府は1枚につき懸賞金2万円をかけた」

ニセモノが本物以上の価値を持った瞬間である。

ニセ札づくりは大罪だ。しかし、例えばそれを授業で扱ったらどうだろう。1万円札を手に持ち、大きさや形はもちろん、まったく同じ図柄を書く。紙も様々な紙質のものから選び、重さもきっちり量る。できれば磁気なども調べられたら面白いだろう。機械は何をもって判別するのだろう。そんな視点で紙幣をみると何かを感じるかもしれない。そして、そっくりなものを書く。

でも、それは使えない。なぜだろうか。

そこを学ぶのだ。学校でやったら大騒ぎだろうが、塾なら大丈夫? (ここはイルム元町スクール・甲斐先生に期待)

なお、紙幣を複製した際は「通貨偽造罪」及び「通貨及証券模造取締法」違反に該当する恐れがある。ここで偽造と模造の違いを調べたり、では変造とは何かを考えるのもいい勉強。以前はよくあった500円玉をタバコがすり抜けるマジックが最近見られなくなったのはなぜだろう。さて、「通貨偽造罪」は刑法第148条から第153条に規定されている。違反した場合は3年以上又は無期。無期まであるというのがいかに罪が重いかがわかる。ただし、使用する目的で偽造しなければ罪には問われない。よって教材等で使用する分や子ども銀行券的な使い方には大丈夫な可能性が高い。また「通貨及証券模造取締法」に違反した場合は1ヶ月以上又は3年未満となっている。こちらは行使の目的が問題となっているわけではないので、使用目的ではなくてもヤバい場合がある。ヤバい図工はマジモノなので、もし教材等で使用するとなるとこちらの方が危ない。よろしいですか、甲斐先生。

どんなに時間をかけ、どんなに精巧につくってもそれはニセモノだ。がしかし、それはその子がつくった「世界でたった1枚の作品」でもある。

本物とニセモノの違いはなんだろうか。

認定する人や機関によって大きく左右される。疑いの目を持ち、本物とは何かを探る目を持つ。本物は変わる可能性があるのだ。

自分の目で確かめ、良く聴き、手で触れて感じる。世界のどこかの誰かが自分の都合のためにつくった本物より、自分自身でこれは本物だ、偽物だと決めていけばいい。怖いものはなくなる。

ましてや教育や経営はモノを相手にするのではなく「人」である。いろいろな人に対し様々な人が日々工夫し実践しているものに、果たして「本物」と定義づけることができるのであろうか。

ある人にとっては本物であっても、別の誰かにとってはニセモノかもしれない。その逆もまた然り。我々が目指すものは、どこか遠くでそりゃあニセモノだよとか、これこそが本物といった声におののき惑われるのでなく、目の前に子供達にとって「本物」であるべく日々努力精進することではないだろうか。

という論こそ「本物」なのである。←ツッコミどころです。

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投稿者: keishoseminar

中学受験・高校受験「慶翔ゼミナール」 相模原市中央区相模原2-12-21 JR相模原駅 南口から徒歩5分、住宅街にある学習塾です。 自宅1階を改装し、妻と2人で全塾生を指導します。 今年で開塾18年目となります。朝塾、やっています。

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