教科書の古典的題材「故郷」に想うこと。我流解説。

魯迅は激烈であった。

その人物はもちろん、彼が生きた時代もまた激動であった。

おそらく多くの学校で中3国語は「故郷」が出題範囲となるだろう。この「故郷」、薄暗く緩やかな出だしと希望へと結ぶラストにより、ほんわかとしたユルい小説あるいはダメな人間ばかり出てくる暗いお話というイメージを持つ子も多いが、中国混乱期の民を奮い起こすべく書かれた檄文である。

小説は時代を映し出す。作者が生きたその時代背景を知れば知るほど物語は深くしみ込んでくるが、それもまたうっとうしいというのであれば冒頭に書いた「魯迅は激しく生きた人であった」だけでも頭の片隅に入れて読んでほしい。それだけで少し違った側面を感じるかもしれない。

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中3生は次の定期試験でいよいよ内申点が確定する。どの子も一生懸命頑張っているだろう。

期末テストは科目も多く、また成績付けのため課題も多い。よって優先順位のつけ方が肝心だ。多くの子が数学や理科、英語などに手を付け、国語は後回しになることが多いのではないだろうか。あるいは範囲内の漢字は練習するが文章題は何をやっていいかわからない、または読めばわかるといって手をつけない。限られた時間と教科の性質上、仕方のない部分ではあるが、国語でも「やっておけば確実に点が取れる」という部分がある。もちろん前述の漢字はもちろんだが、文法や古典などもその部類に入る。

そして、「故郷」がそれにあたる。

中学国語の教科書は光村、東書、学図、三省、教出であるが、その5社すべてに採用されているのが「故郷」であり、しかもそれは長年続いている。私の中学時代も載っていた記憶があるので、もはや教材として古典だ。となると出題内容はほぼ出尽くしたといっていいだろう。どの先生もこれが出題されるとわかっている。しっかりとやっていれば確実に点がとれる。

まずこのような長文の場合、どこを重点的に読むかだが多くは文章のラストが出題される。出題用紙全部にこの長文を載せるわけにはいかないのでどうしても場面は絞られる。1割は故郷に戻ってきた冒頭、わずかに中盤のコンパスことヤンおばさんとの出会い、9割方は「古い家はますます遠くなり、故郷の山や水も遠くなる。」以降だろう。よって、ここをしっかりと読み込む。過去問に頼らず、教科書をしっかりと読むことが大切だ。

多くのテキストや参考書、もちろん学校の授業でポイントを解説しているだろうからそこをなぞればよい。どのテキストも同じような問題があるだろう。つまり、それだけ重要だということだ。そこに自分の学校の先生の授業を思い出し、ノートなどをチェックする。

例えばラストの「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」などは必出どころではない。これは何を意味しているのか、しっかりと書けるようにしておくこと。他にも偶像崇拝とは何か、香炉と燭台↔私のいう希望、手製の偶像などは絶対のポイントだ。また、私の生活、ルントウの生活、他の人のような生活もそれぞれ新しい生活、私達の経験しなかった新しい生活と結び付けて理解しておくこと。これらは多くの練習問題に例題があるので、そこをしっかりやっておくこと。

だが、「故郷」はこのテスト対策のためだけに読むのは惜しい。

私が小説的に好きな部分は「現にホンルはシュイションのことを慕っている」という部分と「ラストの段落の最初の二文」だ。

前者はなぜシュイションはホンルのことを慕っているではなく「ホンルが」慕っているという順番なのか、が大切だ。こういった何気ないことがらにも筆者の想いが込められている。

また、後者の部分は出題されることはおそらくないだろうが、ぜひ心に留めておいてほしい箇所だ。小説にしろ映像にしろ、悲しみを悲しい、喜びを嬉しいとそのまんまモロに表記したり表現したりするのはあまり上手な技法ではなく、また深みを欠く。何気ない情景描写にそれを代弁させたり、あるいは読む人や観る人にゆだねだりする。

最後の段落の最初の出だしはこうである。

「まどろみかけた私の目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月が懸かっている。」

この文に見え覚えがないだろうか。冒頭でルントウとの再会の時にも描かれた描写だ。「このとき突然、私の脳裏に不思議な画面が繰り広げられた。―――」と以下、同じような場面を魯迅は描く。

が、一つだけ決定的に違う部分がある。そう、そこには「銀の首輪の小英雄」はいない。

ここに魯迅が故郷への決別とまた同時に、決して捨て去ることのできない故郷への想いが交錯しているのだ。

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教科の垣根を越えて社会の先生に、この頃の中国、つまり五四運動や国民党と共産党との争い、毛沢東についてのこと、もちろん日本との歴史なども聞くとよいだろう。魯迅は日本との関係もまた深い。

あるいは高校になって世界史や日本史をもう少し細かく勉強してから、もう一度読むものいいかもしれない。

当時の中国に限らず、国が狂っているときは言葉そのものが弾圧される。

その限られた表現の中で、違うものは違うと批判し続け、新しい中国、いや中国だけでなく新しい世界をつくるべく言語の世界で激しく生きた人が魯迅である。永遠の批判者である。毛沢東は魯迅を絶賛したが、おそらく現中国に対して強烈な批判を加えるだろう。また、今の日本や世界に対しても、その鋭い筆先で恐れることなく自説を展開するに違いない。

この「故郷」、ぜひ「一人の戦士」が書いた文としてもう一度読んでみてほしい。

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投稿者: keishoseminar

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