「悪い」と思っている子、思っていない子

代表的な言葉の誤用として「確信犯」が挙げられることがある。

「本人は悪いと思っていながら、あえてその行為をすること」ととらえられることが多いが、実はこれは誤用。本来の意味はむしろ逆で「(政治的・道徳的な信念から)本人は悪いと思っていないことを確信して行う犯罪」が正しい。つまり、自分こそが正しいと確信しての犯罪(行為)だということだ。

今回はその誤用に関することを述べるのではなく、子供達が何か行動をおこしたときとその後について、それらに対する大人の心構えについてがテーマである。

例えば、テストの点数が悪かったとする。このままではマズいと思うのであれば、この点数を改善すべく次回への対策を練り始めるだろう。そしてそのためには、まず原因をつかまなければならない。

しかしその前に、大前提として子供にやる気があるのかを確認したい。やる気がないのに大金を払って塾に通い続けるのもバカらしいし、そもそもやる気がなければどんな対策を練っても効果は薄いと感じる人は多いはずだ。

よって「君はやる気があるのか」と問いかけるのは、まあ多くの家庭や塾でみられる光景だとは思う。なお、今ブログでは「やる気のあるなしが本当に必要か」という場ではないので、一つの例として話をしているのだから余計なツッコミはすべて無視してこのままキメる。

さて、話を戻すと、大人からのこれらの問いに対して「やる気なんてあるわけねぇーじゃん」と答える子は、まあまずいない。いたとしたら、それはそれで度胸満点直球ど真ん中ばく進小僧として、かえって立派だ。きっとどこへいっても自分の個性を発揮することができ、味のある人生を歩むことを保証するので、もしそれが我が子であれば安心して結構ではないだろうか。

ちなみに、上は高2から下は中1までの4人の我が子においては、当然のことながらそんな気合が入った子はいないので、私の圧力に負けて「やる気はあるんだよ・・・」とか細い声でうつむきながら答えるのが常であろう(あろう、というのは実際にそのような問いはほとんどしないので、もししたとしたらきっとそうなるだろうという推測のため)。まあうちの子に限らず、たいていの子は「やる気はある。次は頑張る」と答えるに違いない。

このような場面で、子供の「やる気はある」という声を聞いて「やった! 我が子はまだまだ捨てたもんじゃない。やる気は十分にある。きっと次のテストは大丈夫だー!」と天然無邪気に喜ぶ親や、よし大丈夫だと思う塾講師はまずいないので、次なる問いかけをぶつける。その場合、大きく分けて2パターンではないかと思う。

1つは、ともに計画を立て具体的な対策を練っていく。理想は子供自身が作り上げることであるが、なかなか難しい。見守ることも大事だが、どうしても甘くなったり穴が目に付く。最初は一緒に作り上げていくほうが無難だろうし、道筋としてひな型を提示してあげると子供も安心するかもしれない。いずれにせよ、建設的かつ行動的でとてもいい。

もう1つは、本当にやる気はあるのかと、さらに心の奥底に入り込むことで問題の根本的な解決を図ろうとするパターン。どんなに立派な計画を立てても、それが確実に実行されなければ意味がないわけだから。そこで、次のようなセリフが繰り出される。

「やる気があるというが、それは本当なのか? テストがあるというのに何もやらなかったのではあれば、本当にやる気があるとは言わない」さらには「『悪い、ヤバいとわかっていながらそれでも行動に移さなかった』のはなぜだ」的な問いをすることで本心に迫っていく。

実に前置きが長くなったが、本題はここからである。あまりに長くて途中で読むのを止めてしまった方もいるだろうが、かまわずここからも長文をキメまくる。

つまり、テストの話は一例であって、なんのことであるにせよ「悪いとわかっていながら、それをする(あるいは、しない)」のは、誤用としての確信犯的な心情であるから、親として大人としてどのような心構えでいるべきか、というのが今ブログの主題である。

もう少し補足すると「悪いとわかっていながら」行動する子と、それが本当に「悪いことと認識していない」で行動する子の、どちらの対応が難しいかということだ。

おそらく多くの方が「悪いとわかっていながら『それでもわざわざ』そういうことをするのだから、こっちのほうがよりタチが悪く厄介だ」と思うのではないだろうか。

わざとそうしていたのかと。悪い結果を予測しておきながらも、あえてそういう行動をとったのかと。私も以前はそうだった。カッとして問い詰めたこともある。

がしかし、それは逆なのだ。

悪いとわかっていながら、それでもする(しない)ということには、実は「理由」がある。

これもまた極端な例であるから不謹慎だというお叱りの声もあるだろうが、例として挙げているだけなので構わずキメる。

例えば、殺人だ。人を殺すのは悪いとわかっているから「それでもする」にはその人なりの理由がある。我々一般のごくごく普通の人間には理解できないような理由であっても、その殺人者にとってはなんらかの理由があるはずだ。だから、その理由を解決すれば最悪の結果は回避できる可能性があるかもしれない。

しかし、人を殺すことは悪いことだ、と認識していない狂人は更生しようがない。どんなに説明してもその概念がないので対処のしようがない。

これは恐怖である。

上記は極端な例だが、根本的な話の核心は子供達の日常と変わらない。

テスト勉強をしなかった。

宿題をしなかった。

授業に集中しなかった。

塾をサボった。

先生/親の言うことを聞かなかった。

約束をやぶった。 などなど…。

これらについて子供が「悪いと思っていた」と答えたなら、実はそれでOKなのだ。

それ以上のつっこみは無用である。そして、それはなぜなのかを優しく聞いてあげればよい。たとえそれが「ゲームがしたかった」や「眠かった」などというカチンとくるような理由であっても、一つ一つ拾い上げればよい。理由があれば対策ができる。

ただし、昨日の今日ですぐに解決できるものばかりではないから、結論を急いではいけない。むしろ時間がかかるものであり、これからともに創り上げていこうという心構えで対処すべきだ。

眠いのであれば、睡眠時間について/生活習慣について、ともに考える。ゲームやスマホであれば、たとえばルール作りをともに考える。一方的な押し付けは厳禁だ。できれば、子供自身がつくっていく、子供が発案するのがより良い。

話し合いを持ったからといって、すぐに180度変わって全てがうまくいくようなことはまずない。過剰な期待は禁物だ。しかし、それはきっと幸せに向かう第一歩であることは間違いない。

「悪いとわかっていながら、なおもそれをしたのかっ!」「そんなこと本心から思っていない、口だけでしょ」というのは、あまり得策ではない。むしろ悪手だ。

「悪いと思っていた」というセリフが出てきた時こそ(あるいはそう誘導するのもOK)、問題改善のチャンスとしてじっくりと子供と向き合うべきだ。

むしろ「悪いともなんとも思っていない。どうだっていい」となった時は、これは厄介だ。前述のように「おおっ、こいつは大物だ」と大人の側が開き直れるのならその子も大きく羽ばたくであろう。が、実際はそうではなく、ほとんどの親は頭を抱える。K奈子さんなら一週間は寝込む。多くの場合は家庭内だけでは対処できないのではないか。よって、専門家に相談することを強くお勧めする。

そんな専門家がどこにいるかわからない、どこに連絡すればいいか皆目見当もつかない、という方は、とりあえず042(813)3974へおかけいただくか、main@keisho.sakura.ne.jpへメール、またはLINE ID「tkdnmy」へ。

当塾につながります。

https://sagamihara.keishoseminar.com/

投稿者: keishoseminar

中学受験・高校受験「慶翔ゼミナール」 相模原市中央区相模原2-12-21 JR相模原駅 南口から徒歩5分、住宅街にある学習塾です。 自宅1階を改装し、妻と2人で全塾生を指導します。 今年で開塾18年目となります。朝塾、やっています。

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