あだ名歴

冒頭から恐縮だが、私は並外れた巨頭である。

といっても、しがない個人塾を営む身であるからどこかの組織の黒幕であるわけでもなく、男性であるから巨乳でもない。では男性ならば巨〇なのかというと無論そんなはずもなく、それについては多少のコンプレックスもあるがここでは多くを語らない。

であるから、勤務時代のあだ名である「スズドン」の「ドン」は別に「首領」という意味は微塵もなく、むしろ「鈍」に近いのではないかと今では思っている。

小さい頃は「オレたちひょうきん族」全盛の時であったから、雄大(たけひろ)のタケをとってタケちゃんマンである。自然な流れだ。おそらく全国の同時期、「たけ」がつく子は同じように呼ばれていたに違いない。無論、ナハッナハッナハーは数限りなくやった。

さて、冒頭の話に戻る。

実は顔がデカいのももちろんそうではあるが、正確にいえば頭がデカい。市販の帽子はまず入らない。よって、帽子は嫌いだ。

兄の後を追うように始めた剣道もやり始めは順調だった。竹刀の振りの鋭さ、足の運びなどまさに見事であり、常に「天才剣士現る!」と自分の心の中で叫んでいた。

が、挫折した。防具をつけたとたんに、それまでの輝きを失った。

面がきつすぎたのである。

また、十日市場イーグルスで5番キャッチャー、親父もそのチームの鬼コーチ、愛読書はドカベンで、甲子園を夢見る野球少年だったにも関わらず、なんの未練もなく中学生からはサッカー部に入ったのは丸坊主が嫌だとかサッカー部のほうがモテるとかではなく、ただ単にヘルメットをかぶるのが嫌だったからだ。

というか、フィットするヘルメットそのものがない。これは屈辱である。

今も親が大切に持っている少年野球時代の写真をみると、バッターボックスに入った私の頭は、正月のお供え餅のようにピョコンと頭の上にヘルメットが乗っている。実に耐えがたい思い出の一幕だ。

さて、帽子やヘルメットを必要としないサッカー部に入ったにも関わらず、同級生の佐藤がつけたあだ名は「ズオーキー」だった。

一見するとこれは、当時爆発的な人気を誇っていた「さらば宇宙戦艦ヤマト」に登場する最大最強の敵、ガトランティス帝国の「ズオーダー大帝」をもじったように思える。確かにサッカー部では部長であり、生徒会役員でもあり、成績も優秀、中学ではそれなりのハクがあった。

がしかし、それもまた大いなる勘違いであり、ズオーキーを漢字で書くと「頭(ズ)大きい」であった。

なにもかも、みな懐かしい。

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投稿者: keishoseminar

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